Flexible Dance Circuit VII 「音像」

土曜・日曜の二日間、クリタさんとSEIDOさんの公演「音像」を観に行って来た。


やっぱりこの二人の絡みは面白いなー!



第一幕。


開演前、ステージが半透明のビニールのフィルムで覆われていて、何も見えない。クリタさんの姿も見えない。


やがてSEIDOさんが客席から現れ、手持ちのプロジェクターを懐中電灯のようにして、そのフィルムに映像を映しながら登場。何かを探し回ってると思ったら、フィルムの向こうへ突如吸い込まれる。今度は向こう側からプロジェクターの映像が映し出され、フィルムに小さな亀裂が走る。剣でフィルムを突き破ってクリタさんが登場。


SEIDOさんがピアノを弾き始めるが、このピアノ、裏に細工がしてあり、ミュートされて奇妙なガムランのような音が響き渡る。
さらにそこにディレイが加わり、インドネシアの夜の祭りのような民族的な音楽に。ピアノとエフェクターの組み合わせなのに、民族的というのは不思議だ。


クリタさんも形式的な剣を二本持ち、儀式のような踊りで応える。




第二幕。


メトロノームがプロジェクターにより背景に映し出され、振り子が正確なリズムを刻む。それに合わせてクリタさんが踊る。人間的な動きより機械的な動きが優先され、人間はそれに従うしかない。



第三幕。
背景いっぱいに水面が映し出され、SEIDOさんが息を吹き込むと泡が画面上に出てくる。
その中でクリタさんが泳ぐ。SEIDOさんの水槽の中でもがいてるみたい。かと思えば、邪魔そうに片手で泡を払いのける。
SEIDOさんはギターを弾きながら泡を吹き込み続け、音と映像を操る。


最後、プロジェクターに映し出されたクリタさん自身の肖像が腹の辺りに現れ、どんどん巨大化し、最終的にクリタさんの身体の輪郭を突き破って広がっていく。本物のクリタさんの方は、小さくなっていくように見える(そんな訳ないんだけど)


終演。




なんだか、以前はSEIDOさんの発明した舞台装置の上でクリタさんが踊るという感じだったけど、最近は舞台装置を介して二人が絡んでるような、肉体的な絡みが濃いなあ。


SEIDOさんは「パフォーマンスはもうやりたくない、ミュージシャンに回帰したい」って言ってたけど。笑
真逆の方向になってますよ!!




踊りは具体的なメッセージのない身体表現だけど、いろんなイメージが喚起される。
そして、最終的には何も残らない。
ってところが、いい!!
人間として生きるには、何かを生み出し続けなければいけないなんていう束縛から解放してくれる。



次回がまた楽しみ。