Remember311

震災から二年が経過。
忘れないようにしよう忘れないようにしよう、っていう意見もあるけど、地震の事自体は、忘れても別にいいじゃんか、って俺は思う。
ただ、東京みたいに被災地から遠いところに住んでる人が、被災地の事を忘れたかのように生活してる事に対して、罪悪感は感じてる。復興庁が発表してる避難者数が、今年の二月時点でまだ31万5千人いるっていう事実。一時帰宅とかはあったにしろ、実質二年間家に帰れてないって事でしょ?多すぎじゃね?



んで、先週日曜にオッタンタで行われたRemember3.11のイベントで、松岡宮さんがプロジェクタを使って、震災当日に自分が撮った写真とかを発表してた。こういう個人的な記録を発表するのは、すごくいいなと思った。


という事で俺も早速パクりたいと思います。(写真は二年前にも載せたものを再掲)



あの日、地震の瞬間、俺は会社で会議中だった。キャスター付きの椅子に座ってたもんだから椅子が動いちゃって動いちゃって、「椅子が勝手に動くー」とか言ってふざけて遊んでいた。
そしたら急に停電になって、パソコンや電灯が全部切れてしまったのでびっくり。仕事が出来なくなってしまったので、16時半くらいに帰宅した。家族の安否確認はとれていた。


会社を出たら、最寄り駅の改札に長蛇の列。踏み切りは降りっぱなしだったけど、電車は全く来る気配なし。踏み切りを乗り越えて帰る人たち。この非日常感に、(不謹慎だけど)ワクワク。



結局、蒲田まで1時間くらいかけて歩いて帰った。
途中に通った多摩川で、なんとも不吉な雲。



家帰ったら、俺の部屋が大変なことに。棚が倒壊。



しかしこの状態は置いといて、みかんが目黒で足止めをくらっているというので自転車で迎えに行った。目黒駅に着いたのは20時くらいだけど、まだ止まったまま動かない山手線。


バス停の前には長蛇の列。
車も大渋滞だったから、チャリで迎えに行ったのは結果的にナイスな選択だった。目黒から蒲田まで、2ケツで第二京浜沿いを走って帰ったけど、五反田駅から徒歩で帰る人の列は、馬込まで全然途切れず。おそらく、川を越えて川崎より向こうまで歩いて帰る人もいるんだろう。



日付が変わって3/17、計画停電で明かりの消えた街の写真(川崎市中原区)。信号機のつかない交差点はかなり怖かった。


コンビニの食品が全部売り切れるなんていう事もそういえばあった。



今、書いててどんどんあの日の事思い出してきた。あの日は、日常の中に突然起きた非日常で、(非常に不謹慎なのは承知で書くけれど)俺は夜になってニュースで東北の被害の大きさとかを知るまでは、ワクワクした気分で過ごしていたんだった。


あの非日常感。忘れちゃうもんだね。